山内盛彬さんのこと(2)
前回のつづきです。
1984年4月23日(月)
快晴。今日は前回紹介した小泉文夫氏の講演内容のコピーと、それに関するテープを持参して訪ねた。
「アジアの中の沖縄音楽」(『新沖縄文学』58号。44頁~)は、全文読んで差し上げた。やはり先生は沖縄が中心的にあるという50頁あたりに関心を示された。その際持参したテープで、ブータンのお経やペロッグ音階の出てくるガムランの曲をかけてみた。
話はそれから先生のヘイイン・エイインに及んだが、私にはその辺の知識が乏しく、よく理解できなかった。ドとシ、殊にシの音が半音とか一音とか、一音半とか、高いとか低いとか、そいった話なのだが、よく呑み込めなかった。おそらく「芸能全集Ⅱ」の「民族と旋法」あたりが鍵なのだろうと見当をつけておいた。
また私は奥里将建氏の「沖縄に君臨した平家」を持参していたので、先生の「芸能全集Ⅶ、Ⅷ」あたりとの関連で話をうかがいたいと思ったが、あまり突っ込んだ内容を聞くことはできなかった。
1984年4月23日(月)
快晴。今日は前回紹介した小泉文夫氏の講演内容のコピーと、それに関するテープを持参して訪ねた。
「アジアの中の沖縄音楽」(『新沖縄文学』58号。44頁~)は、全文読んで差し上げた。やはり先生は沖縄が中心的にあるという50頁あたりに関心を示された。その際持参したテープで、ブータンのお経やペロッグ音階の出てくるガムランの曲をかけてみた。
話はそれから先生のヘイイン・エイインに及んだが、私にはその辺の知識が乏しく、よく理解できなかった。ドとシ、殊にシの音が半音とか一音とか、一音半とか、高いとか低いとか、そいった話なのだが、よく呑み込めなかった。おそらく「芸能全集Ⅱ」の「民族と旋法」あたりが鍵なのだろうと見当をつけておいた。
また私は奥里将建氏の「沖縄に君臨した平家」を持参していたので、先生の「芸能全集Ⅶ、Ⅷ」あたりとの関連で話をうかがいたいと思ったが、あまり突っ込んだ内容を聞くことはできなかった。