玉那覇正吉さんのこと

竹内豊

2019年11月10日 20:07

 ときは前世紀の80年代。わたしは琉大の学生で、選んだ教養科目のなかに美術だったか美術史だったかがあって、その講師が玉那覇正吉さんだった。大柄(に見えた)な人で、自分が上京したころの話をしてくれたことを覚えている。後で知ったことだが、かれは沖縄の戦後美術史にその足跡を残す画家の一人だったことを知ったが、講義を受けていたころはそんなことは知らず、漠然と(といっても美術には興味があったので、きちんと聴いていたと思うが)その人柄に接していた。
 ある日突然試験があって(わたしはその前の講義を何かの事情で欠席していために、試験があることを知らなかった)、不本意な答案を提出した。悔し紛れに答案の余白に事情を書いて「試験があるのを知っていたら、それに備えてきたのに残念だ」というような往生際のわるいことを書いた。後日結果をみたら「良」(だったと思う)にしてくれていた。私の意をくんでくれたのかもしれないと思い、ありがたかった。
 その玉那覇さん。ニシムイ美術村で制作に明け暮れていた青年画家だったのだろう。とくに親しく接したわけではないが、わたしには懐かしい人だ。